新納 忠元

新納 忠元(にいろ ただもと)は、島津氏の家臣で刑部大輔。武蔵守。拙斎。1526年~1611年。新納 祐久の子として生まれる。13歳の頃から島津 忠良の家臣として仕え、数々の戦で活躍。水俣城の守将であった犬童頼安と和歌を読みあいながら争ったという有名な逸話がある。忠元が「秋風に 水俣落つる木ノ葉哉」と詠んで射掛けたところ、犬童頼安は「寄せては沈む 月の浦波」と詠んで射返したと言われている。また、小柄ながら豪胆な人物であったとされ、その武勇は「鬼神の如し」と評された。自らの身柄を人質として差し出したこともあるほどである。その一方、信親が戦死した際には涙を流し、僧を同行させて土佐岡豊城まで行くほど礼節を弁えた武将であったとも言われている。