直江 兼続

直江 兼続(なおえ かねつぐ)1560年~1620年。樋口 兼豊の子で武将であり家老。直江 景綱の娘の2度目の婿として迎えられ、直江姓を継ぐこととなった。兼続は才気と美貌を兼ね揃えていたため、小姓・近習として力を発揮したと言われている。その時、信頼の篤い近臣になっていたという説もあるようだ。秀治の死後、上杉 景勝と2人で政治を行なったとされている。しかし、兼続の武功戦歴はほとんど無く、関ヶ原の戦いでも大混乱の末に多くの武将を失う、上杉軍陣中で同士討ちが発生するなど、苦戦した。家康の非道に対し送られたという「直江状」の執筆者として有名だが、真相は不明となっている。学問好きだったことは有名で、米沢に禅林文庫を建て文献収集に役立てたと言われている。また、兼続の鎧の前立には「愛」という文字がかたどられているのは有名で、今でも米沢市に保管されている。