藤堂 高虎

藤堂 高虎(とうどう たかとら) 1549年~1584年。藤堂 虎高の子で武将であり大名。浅井長政に仕えていたことで姉川合戦に出陣した。これが高虎にとって初めての合戦であったが、手柄をあげたことで長政から感状を受けたのである。その後、浅井の旧臣、磯野 員昌にも家臣として仕えた。また、関ヶ原では東軍で活躍し徳川家の重臣としても功績を挙げたため、22万石を与えられ伊勢津藩主となる。大坂冬の陣、夏の陣共にも参戦し、多くの犠牲者を出したが戦いの実績を認められたことで32万石を与えられ、従四位下に昇任した。高虎は当時の日本人には珍しい高身長の大男だったと言われており、身長は190cmもあったとされている。「常に死を覚悟していれば、心は動じない」という名言を残していることや、士気の高い主力と激突していたことから武勇に優れた人物だったと言われている。また江戸城修築の際には都市計画の才まで偲ばれている。