小早川 隆景

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代~安土桃山時代にかけての武将。1533年~1597年。郡山城で毛利元就と妙玖夫人の三男として生まれる。幼名は徳寿丸。1543年、竹原小早川家の当主、興景の夫人が元就の姪であった関係からその養子となった。小早川氏の本家の当主は幼少の上に病弱だったため、半ば強引な手段で強制的に隠居・出家に追い込み、沼田小早川氏の重臣を排除した。1585年、四国征伐ののちに伊予35万石に封ぜられ、その後も九州征伐で肥前一群半、約50万石を与えられ、名島城を築き、立花城主となった。1592年、秀吉の命令で老体を押して朝鮮出兵し明軍を撃破。帰国後、秀吉の五大老の一人となり、正室である繁平の妹と隆景の間には子供はできなかったため、秀吉の甥を養子に迎えるが、この妻を非常に慈しみ、子供ができなくても側室を置くようなことはなかったと言う。家督を譲り三原城に隠居後、65歳で死去。死の間際に、同じく病床にあった弟と「どちらが先に逝くか」と語り合ったと言われている。