池田 輝政
池田 輝政(いけだ てるまさ)は戦国時代末期から江戸初期にかけての武将・大名。1564年~1613年。尾張国で池田恒興の次男として生まれる。幼名は古新。若年の頃から織田信長に側近として仕え、のちに秀吉に仕えた。1584年、長久手の戦いで父と兄が戦死したため、家督を相続した。その遺領美濃10万石を継ぎ、大垣城を守りついで岐阜城主となる。秀吉に従ってからも、天下統一の諸戦に参加し、九州征伐、小田原攻めののち、功により三河吉田に15万石を与えられた。1594年、秀吉の仲介によって家康の娘と結婚する。そのおかげで播磨から備前などに100万石近い大領を領したという。関ヶ原の功により姫路城を大規模に改修。天守の美しさにおいて日本一の名城だと言われた。1613年、姫路城で急死。享年50歳だった。世間では輝政の死は秀吉の呪いとも噂された。そののち、池田の子孫は因幡・伯耆に転封、さらに備前岡山に移り明治を迎えた。