島 清興

島 清興(しま きよおき)安土桃山時代の武将。年齢不詳~1600年。大和国の国人の家系に生まれる。島 左近(しま さこん)と言う通称の方が一般的に良く知られている。当初、筒井順慶に仕え、伊賀上野城を預かっていた。その頃侍大将になり、筒井氏の両翼と目され、「右近左近」と称された。が、順慶の死後、後を継いだ筒井定次と意見が合わず、浪人。豊臣秀長、秀保に仕えたという。秀保の死後は、石田三成に見込まれ1万5千石という破格の待遇で重臣となる。秀吉の没後、家康の権力に危険を感じ三成に家康暗殺計画を持ちかけるが、受け入れられなかった。しかし正家はその計画に賛同し、家康を呼び出す約束を取り付け、そこまでは成功したが暗殺の当日、家康がその約束をすっぽかしたため計画は失敗に終わった。1600年の関ヶ原の戦い敵の銃撃により討ち死にしたというが、最期の狂気じみた奮戦ぶりは東軍諸将のあいだでも語り草となったと言う。