尼子 経久

尼子 経久(あまご つねひさ)は出雲国の戦国大名。1458年~1541年。富田月山城に生まれる。幼名は又四郎。父は出雲国守護代である尼子清定。尼子は宇多源、鎌倉以来の名族、佐々木の一族であり経久は四代目にあたり、1478年、経久は父から家督を譲られる。下剋上の典型とされ毛利元就らと並ぶ謀略の天才とも言われた。1508年、大内義興らと足利義稙を奉じて上洛し足利義澄らと戦い、帰国後、大内領内に侵入するなどして11ヶ国にまたがる太守となった。1532年、我が子に裏切られる出来事がある。三男の興久が謀反した。反乱は鎮圧され興久は討ち取られたが、経久は心に大きな傷を残した。1541年、軽率な晴久に不安を抱きつつ月山城で病気のため死去。享年83歳。その後、孫晴久はその勢いをよく支えたが、その子、義久の代になり、大内氏や毛利氏の反攻が始まり、尼子氏は次第に勢力を失っていった。