有馬 晴信
有馬 晴信(ありま はるのぶ)は肥前国日野江藩初代藩主。1567年~1612年。肥前日野江城で有馬義貞の次男として生まれた。キリシタン大名としてドン・プロタジオと呼ばれた。1571年兄が早世したため家督を継承する。洗礼名を持つほど熱心なキリスト教徒だった晴信は秀吉がキリシタン禁止令を出したときも、宣教師たちに保護を与えたと言う。1609年、晴信の朱印船の乗組員が殺されるという事件が起き、家康の許しを得てポルトガル船を長崎港に沈めた。岡本大八は黒船を沈めた恩賞として旧領を戻してくれるだろうと持ちかけたが、最初から晴信をだますつもりだったのだ。これが家康に発覚し、岡本大八は火あぶりになり、晴信も贈賄の罪をとわれ追放された後、切腹させられた。しかし、キリスト教徒側の記録からは晴信はキリスト教徒であったため、自殺を選ばず家臣に首を切り落とさせたとなっている。どちらが本当かははっきりしていない。