佐竹 義重
佐竹 義重(さたけ よししげ)は、戦国時代~江戸時代前期にかけての武将で、常陸の戦国大名。1547年~1612年。第17代当主・佐竹義昭の長男として生まれる。義重の父、義昭は、白河の結城晴綱、会津の芦名盛氏と戦い、山入氏との内乱の間に失った旧領を拡張する。1561年、上杉謙信が小田原の北条氏を包囲した際も参陣している。1585年、連合軍を結成して奥州に出陣し、人取橋で会戦。戦いは兵力に優勢を取っていたのだが、留守中の常陸で不穏な動きがあったため、急遽撤退した。義宣に家督を譲った後もなお政宗との戦いは続いた。1590年、小田原征伐にも加わり石田三成とともに、北条氏の属城や武蔵鉢形城を攻めた。太田城にて悠々自適の隠居生活を送っていたが、義宣は西軍に付くのか東軍につくのか親子の意見が対立する。義宣は結局どちらにも曖昧な態度を取っていた。相次ぐ反佐竹一揆に対応するため義宣とは別に見張りを行っていたが、狩猟中に落馬して死去した。