大内 義隆

大内 義隆(おおうち よしたか)は、周防山口の戦国大名。1507年~1551年。第30代当主である大内義興の長男として生まれる。1528年父が死去し、家督を相続。その後まもなく九州に出兵した。そこで大陸貿易の利権を掌握し、周防、長門、安芸、石見、備後、筑前、豊前七カ国の守護として、西国一の大名となった。1550年フランシスコ・ザビエルが山口に来た時に面会し、キリスト教の布教の許可も出した。政治を部下にゆだね、独自の文化に京風を取り入れ『大内文化』を創始した。さらには西洋の文化導入に力を入れ、山口は文化の都として発展した。他の戦国大名には見られない対外政策を成し遂げたのである。その翌年、武断派の陶隆房らによって『大寧寺の変』が起きるが重臣の内藤興盛も大内 義隆を救援することもなく黙認したのである。そして隆房らに急襲を受けて山口から逃走するが、長門・大寧寺で自害した。享年45歳であった。