高台院

高台院(こうだいいん)は、豊臣秀吉の正室。1548年~1624年。尾張朝日村で織田家家臣、木下定利の娘として生まれる。家臣といっても下級武士の家だったためか伯母の嫁いだ浅野長勝(足軽組頭)の元に養女に出されている。実母の反対を押し切って織田信長の家臣だった豊臣秀吉と結婚する。1568年、秀吉は信長に従って上洛し、明智光秀と並んで京都奉行になる。夫婦仲は円満だったようだが、2人の間には子供が無かったので、そこで、妾をとり、石松丸秀勝を儲けた。秀吉の20人近い側室の中で、唯一秀吉の子を二人も産んだ淀殿との対立は、よく逸話にされている。信長とは親しかったようで、秀吉の浮気の相談をされた際に信長はねねに励ましの手紙を送ったと言われている。秀吉死去後、家康はよく高台院を見舞っており、大坂落城の後も高台院は徳川家の庇護を受け、河内1万3千石の所領をもらって余生を送った。晩年、木下利次を養子としてむかえていたため所領の一部である3000石を継承した。