お江与
お江与(おえよ)1573年~1626年。浅井長政の三女で3代将軍家光の生母。織田軍に攻められて落城し、父長政は自害。母らと共に叔父でもある信長に助けられ北ノ庄城に移るがまもなく北ノ庄は秀吉に攻められて落城。義父と母は自害し、兄弟と共に再び城を落とされるが、秀吉の庇護を受ける。1592年に豊臣秀吉の甥・秀勝の元へ嫁ぎ完子を出産。文禄の役で秀勝は死去。その後、家康の子の秀忠と再々婚。千姫、子々(ねね)姫(または珠姫)、勝姫、初姫と女子ばかりを産んだが、結婚10年目にして、ようやく嫡子を生む。これが三代将軍家光である。徳川将軍御台所で将軍生母となったのは後にも先にも彼女だけである。1626年、江戸城西の丸で死去、享年54歳だった。火葬にされた理由は、生前に毒を飲まされていたという疑いがあり、遺体に蕁麻疹ができていたため証拠隠滅のために火葬にされたという説がある。春日局の仕業だとも言われている。