伊達 政宗
伊達 政宗(だて まさむね)は、戦国時代の奥州の戦国大名で仙台藩初代藩主。1567年~1636年。米沢城にて生まれる。父は伊達家16代当主輝宗。幼名は、梵天丸。5歳の時疱瘡(ほうそう)の後遺症により右目を失い、隻眼(せきがん)となる。これが一生正宗のコンプレックスとなり、母の愛情が弟へ傾く原因ともなるのである。しかし、後に秀吉や家康から右目の理由を聞かれると「木から落ちたとき、右目が出てきてしまい、あまりにおいしそうだったので、食べてしまった」と答えたが、『三国志演義』の故事を引用したものだとされている。1579年、三春城主、田村清顕の娘、愛姫(めごひめ)と結婚。1590年、奥州仕置で政宗は小田原へ参陣して秀吉に臣従を誓い、本領を安堵される。参陣前には母、義姫に毒を盛られる。そんな母を止めるため弟の伊達小次郎に自害を命じ、義姫は実家の兄をのもとへと追放した。徳川家には2代将軍まで、徳川家には3代将軍まで使え、1636年江戸で死亡。