毛利 元就
毛利 元就(もうり もとなり)は、室町時代~戦国時代にかけての安芸の戦国大名。1497年~1571年。安芸の国人、郡山城主の毛利弘元の二男として母の実家の鈴尾城で誕生。両親の死後、家臣の所領横領などに悩まされながら1511年に元服し、毛利元就を名乗る。21歳の時初陣で『有田城合戦』に勝利し、近隣に『安芸に元就あり』と名をあげる。元就の親族は皆、短命で酒好きだったことから、兄が亡くなったときに『禁酒』を決意し、生涯この誓いを守ったと言う。1555年人生最大の岐路を迎えた『厳島の戦い』。周防長門の大内義隆が家臣の謀反によって殺害されたことから始まった。元就は、厳島を陶晴賢との決戦の場と定め戦いに挑み、陶氏2万の大軍に対し毛利軍はわずか2,500で奇襲作成を展開し大勝利し、元就は中国地方の有力大名となったのである。かの有名な『一本の矢はすぐに折れるが、三本束ねた矢は折ることが難しい。』と言う『三本の矢』を説いたのは毛利元就なのである。臨終の枕元に子供を呼んで語ったと言う。享年75 歳だった。