織田 信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代の武将・大名。1534年~1582年。織田信秀の二男として生まれるが三男という説もある。幼い頃は、身分にこだわらず町の若者とも戯れていた。青年期は奇行が目立ち“尾張のうつけ者”と評されていた。家督争いに勝利し織田家を継ぎ周辺の敵対勢力を次々と破り、『天下布武』の意思を示した。さらに、信長は自分の政策と合致しない者は次々と追放し、1559年までには尾張国内の支配権を確立した。信長は、鉄砲、鉄甲船、楽市楽座令など、中世の体制改革を行い新しい体制を作った人物でもある。「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」と歌ったことで有名だが、1582年、不満を持つ重臣、明智光秀に京・本能寺で急襲される。これが『本能寺の変』である。手勢が少なかったために自ら槍を持ち戦った。だが、それで怪我を負い、居間に戻り自害したといわれている。しかし、その亡骸は見つかっていない。明智光秀の娘婿が信長の死体を探したが見つからなかったといわれているが、信長を慕う僧侶などによって人知れず埋葬されたという説が有力である。