明智 光秀

明智 光秀(あけち みつひで)は、安土桃山時代の武将。1528年~1582年。明智光秀といえば『主殺し』『三日天下』などの代名詞が一般的である。岐阜県山県市美山出身で幼い頃は桃丸と呼ばれていた。足利義昭と織田信長が対立した時、信長の直臣となり数々の戦功をあげて1580年頃、信長より丹波一国を与えられ亀山城主となるのである。やはり明智 光秀と言えば、切っても切り離せないのが『本能寺の変』であろう。1582年(天正十年六月二日)光秀は信長が宿泊していた京都の本能寺を二手に分けて包囲し、最終的に信長を自害させた。動機は光秀の個人的な恨みによるものであると言われているが、その他にも野望説・怨恨説・自己防衛説・武士の面目説などがあり、真実は明らかではない。部下である明智光秀が自分を取り立ててくれた上司の信長を自害させるというのは前代未聞であり、その後も謀反人として歴史に名を残すこととなった。